真鍋大度氏のトークセッションを聞いてきた

  • Posted on: 2015年8月30日
Pocket

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

真鍋大度氏は書くまでもないがメディアアートとその周辺技術領域ではもはやヒーロー的存在。数々の取材記事もネットにはあるので詳細な説明はそちらに譲ります。
たまたま見かけたページでトークセッションをやるとのことだったので、行ってみることに。きっとこのセッションも後々詳細に記事化されると思いますが、個人的に気になった点を以下にメモ。

制作された作品や実績はスゴイし、テクノロジーやそれによって得られる体験に関する知見が深く、静かなトーンながらも非常におもしろい話をされていました。

問題提起だけでなく解決策の提示まで

アーティストのアウトプットは、「誰もやったことがない」ことは最低条件として、その類型として2パターンあると論じる。
1.考えるきっかけや気づきを与える
2.解決策を発明する
真鍋氏は2の解決策のプロトタイプ制作までをやりきるスタイルを指向されているとのこと。

DJが活動の原点

DJとはフロアにいるリスナーの雰囲気に応じて、曲を切り替えるのが基本であるが、リズムアレンジやフェーズの切り替えなどのテクニックが問われる。
真鍋氏はフロアの人々の雰囲気、もしくはセンサーから得られる情報をインプットに、鑑賞者に作用するよう何かしらの計算を加えてアウトプットしているように感じる。
話を聞くとなんだか彼の作品がDJ的だと感じる。(テクノロジーのコラージュ的組み合わせだったり、変数のリアルタイムの取得・活用だったり)
DJだからか講演もうまい。常に映像や資料、ソフトウェアをスタンバっていて、話がとぎれないしテーマ移行がスムーズ。
(使わないけどAbleton LiveやXcodeをおもむろにスタンバってたりする)

機械学習のためのデータセット収集の方法

マシンラーニングのためにはデータが必要だ。
そのデータは画像や動画などのバイナリと自然言語のメタ情報のセットになる。
GoogleやInstagramなどの企業は質の高いサービスを提供すると同時に、そうしたデータセットを効率的に集めている。(ユーザーは喜んでデータを入力する)
逆に、データを取得し蓄積されること自体に、個人情報保護の観点から嫌悪され気持ち悪さはあるが、サービスの見せ方次第でユーザーは無意識にデータを提供する(してしまう)。

オープンソースの弊害

インターネットやコンピューターサイエンスにおいて、「オープンソース」は1つの良いカルチャーだ。(Linux、Apache、jQueryなどもはや使わないことの方が難しい技術も多い。メディアアートではProcessing、openFraemworksといった優れたOSSが定番として利用される。)
また、開発者がソースコードを隠さず公開し共有するのも、コミュニティへの貢献として美徳とされる。
しかし、こうした良き文化の弊害として、アウトプットが似通ってしまうという点を指摘している。(確かに、前述のメディアアートのためのOSSを使うとアウトプットが似通う…)
ツールはスタイルを規定してしまうし、表現方法と手段を既存の成果物に頼ってしまう。GitHubが生まれる以前の「みんなオリジナル」の時代の方がクリエイティビティがあったかも、といった話も。

注目しているのはゲームエンジン

メディアアートの作家は、まずはアーティストであるため、3Dのリアルタイムレンダリングのエンジニアリングはゲーム会社の技術者さんには全然勝てないとのこと。
3Dの複雑な処理はゲームエンジンに任せて、センサーの連携とかをプログラミングをしていくのが理想のよう。
また、ゲームエンジニアさんと近々コラボで何かやるそう。とても楽しみ。

5年間家がなかった

「理想のライフスタイルはどんなものか」という質問に、「IAMASの卒業後5年間は家がなかったので、今は寝れる場所があって良い」的なことをおっしゃっていた…本当かな…

走り書きのメモを成形したような感じになっちゃったけど、忘れないように記事化しておきました。
真鍋氏のWeb上で見れる講演としては、コレもとても良い。

Pocket