Beyond Codeというイベントに行ってきた

  • Posted on: 2015年8月27日
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Beyond Codeというイベントに行ってきた。
テーマは、コンピュータ上での計算によって、音または映像を生み出すアルゴリズミックな手法を得意とするVJおよびDJのパフォーマンスの場。

Beyond Codeというタイトルからも、コード(単なるコンピュータに対する手続きの連続)から、有機的な動き、音、それによって鑑賞者に情緒的な作用やコンセプチュアルな意味合いの伝達を実現しよう、とか既成の表現手法の上を行こう、ということを試みる企画なんだと勝手に解釈した。

どのパフォーマーも高い技術力をひしひしと感じた。
まずリアルタイムに30分間、安定して複雑の描画を行うだけでも簡単ではないし、有機的な動きを生み出すアイディアと実装、シーンひとつひとつを切り替える操作系の実装など、高度に専門家されたスキルを持っている必要がある。実際、彼らはopenFrameworksなどのクリエイティブコーディング領域でパイオニア的な存在であり、偉大な先導者、コントリビューター達である。

しかし、いわゆる生成的な音楽や映像に、限界があるのも事実として感じた。
方法論(利用するソフトウェアやフレームワーク)はアウトプットの様式を規定してしまう傾向がある。
大抵のパフォーマンスは、コンピュータにおける計算つまり、アルゴリズミックな手法を用いているため、音も映像も共通するスタイルに収斂してしまう。
特徴を抽出すると以下の様な感じ。


・調性がない。またそのためドミナントモーション的な解決がない
・グリッチが多用される
・リズムを激しくする・音数を多くすることでしか展開を生めない

映像
・OpenGLの幾何学形の集合にランダム性を与えて描画する
・グリッチノイズが多用される
・明滅が激しい
・特定の図形の大量のコピー、またその配置変換

また手法自体も新規性も薄らいできている。
ジェネラティブなサウンドビジュアライザは00年代後半くらいには一般的になっているし、グリッチ自体はMax/MSPの登場にあわせて2000年前後からあった。

同時に、脳が「快」を感じづらいところもある。
西洋音楽の調性になれた脳は、解決(ドミナント)を欲してしまう。映像においても、図像に意味づけをしたがり、起承転結を欲してしまう。
しかし上記の欲求は決して解決されず、唐突にパフォーマンスは終了する。それがこの手の音楽や映像の実験的で批評的な側面でありアイデンティティでもあるが、同時に限界でもある。

こうした部分を打開することを次のフェーズで求められている気がする。

考えうるヒントとしては、真鍋大度氏がオーディオリアクティブがやりつくされ、今後は、機械学習による推定を利用する「コグニティブ」が来る、と論じていることだろうか。

また、この企画の中でもその端緒は提示されていた。
特に、田所淳氏とひつじ氏によるパフォーマンスは、斬新でめちゃくちゃ素晴らしかった。
2つのグラフィカルに音響操作できるソフトウェアによって、互いに即興演奏をしていた。
こうした音楽の場合、どんなパラメータを操作して即興演奏をしているのかが鑑賞者にはわからないが、操作系のUIを映しだすことでどのようなパラメータを操作しているのか、鑑賞者も理解できた。同時にその操作系UI自体が映像として成立している。オーディオリアクティブ映像ではなく、音響インターフェースだ。新しい楽器の創造でありパフォーマンスの創造であると言っても過言ではない。
少なくとも私にとってはめちゃくちゃ斬新に感じられた。
こういうライブもっとたくさん開催されて欲しい。

偉そうに色々書いてしまい恐縮ですが、要はとても良いイベントでした。

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