時代を問わず評価される画家の3つの特徴とは?

  • Posted on: 2013年2月11日
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本日の一冊

ピカソは本当に偉いのか?という問いに様々な観点から分析し、筆者としての結論を導いている。新書ながら個人的にかなりおもしろかった。この記事では論点を少しずらし、この本から読み取れる「評価される芸術家の要素」を切り取ってみたい。

作品に自己言及性があること

作品の自己言及性とは、芸術家のスタイルを作品によってわかりやすく説明させる、ということだ。言ってしまえば作品に様式やスタイルを与えて他者が言葉にしやすくすることと等しい。

例えばマネの『草上の昼食』は、歴史画や宗教画が一般的であった当時「今の風俗を描いてこそ今の芸術である」というボードレールの言い分をモチーフとして表現した、自己言及的な作品と言える。また村上隆の『DOBくん』などの作品は、浮世からオタク文化までつながる二次元的世界観を「スーパーフラット」として自己言及的に示したこともその例である。

そしてもちろんピカソも、自らの作品を通して「キュビズム」という新しい方法論を説明した。「キュビズム」という言葉で批評家や画商から新種のカテゴライズをされた時点でピカソは芸術家として大勝利を収めたと言える。モネやルノワールの「印象派」、シーレやクリムトの「分離派」など、教科書に載る画家はスタイルや様式として語られる。芸術家は自らの作品を通して、自らの歴史との相関や革新性を様式やスタイルとして示さねばならない。

これはつまり価値を創造することだ。このことを、画商や批評家つまりエバンジェリスト達が伝え、最後にエンドユーザまで浸透した時に、芸術家と作品の評価は、激しく高まるだろう。

ボヘミアン、またはイノベーターであること

ボヘミアンは、自由人・放浪者・芸術家を指す言葉で、かつてジプシーと蔑称された放浪の民ロマ族の名称に由来しています。フランス革命を境に、パリに集まり始めた貧しい学生や無名の芸術家たちが、あたかも流浪の民のごとく清貧と自由を愛し権威に束縛されぬことを生活信条としたからです。(147ページ)

フランス革命以降、今も「ボヘミアン」であることは芸術家のアイデンティティとして語られている。体制や社会概念に束縛されず自由に生きること、日常から隠遁して創作にふけることが芸術家としてのアイデンティティのように確かに考えられている。これは日本でも共通であるように思う。

ただし「ボヘミアン」を反社会的・反体制的・過激派と捉えるよりは、今風に解釈するならば日常に革新をもたらす「イノベーター」であることと言い換えられる。流行に迎合するのではなく、人と異なる姿勢をとりそれを流行と呼ばせる側の人々だ。社会と違った道を行き、新しい未踏領域に挑戦することは、画家の立場をわかりやすくし、作品の価値を強固なものとする。

美術史の延長線から今の需要を逆算できること

商才と言い換えてもいい。今欲しがられている様式に独自の未来予測を加え付加価値をつけるこだ。

いきなり突拍子のない様式で描いても需要はされない。ピカソも、当時確固たる地位を築いていたセザンヌの画風をより力強く描くことで、画商達に大いに需要されていった。

その時代に、芸術家の置かれている現状とそれまでの歴史のコンテクストの関係性やつながりを明らかにし、その上で新しく斬新なものを打ち出す必要がある。あまりその時代から飛躍しすぎても駄目だし、評価者が理解可能なレベルの適度なイノベーションが必要なのだ。心地良いギャップを感じることは、評価者にとっては快感だ。

まとめ

時代を問わず評価される芸術家の3つの特徴とは?

  • 作品に自己言及性=スタイルがあること
  • ボヘミアン、またはイノベーターであること
  • 美術史の延長線から今の需要を逆算できること
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